レビュー大賞
○コミュニティの正しいあり方を提供してくれている。
チャイナ さま
親愛なるスタッフ様方へ。
いつも楽しくダイナスティアで生活しております。
自分のホームページではいつも「チャイあんでぇす☆」なんておちゃらけてばかりおりますが、そんなギリギリ危険なネタ満載の私の行動にも、温かく寛容な姿勢でいつも対応して下さり、本当にありがたく思っております。
さて、レビューの本題、「ダイナのここがスゴイ」。
言葉でそれが簡単に表現できるならば良いのですが、残念ながら私にはそれができそうにありません。
自分自身、三ヶ月間体験してみて、じわりじわりと、ようやくそれらが身にしみて分かりました。
分かったと申しましょうか、「痛感」というニュアンスの方が適切かもしれません。
もともと私は他のネットゲームを何年か続けておりました。
多くはないですが、有名とされるMMOはプレイしているかと思います。
どれも個性的でとても楽しかった。
けれど、どれも結局クタクタになってやめてしまいました。
どのMMOも高レベルになっていました。
ネットの中で出来た知人もおりました。
MMOのウリは、画面の向こうにいるPCと遊べる、というものだったと思います。
不思議ですね。でも疲れてしまったのは、どれも人付き合いなのですから。
ネットゲームは、リアルでの生活より選択肢が少ない、決まっているという面で、人を選べないという点があります。
レベルを上げるために、何かをするために、「ガマン」をする場面が、何度あった事でしょう。
人生でそりゃガマンは必要ですが、何か腑に落ちません。
楽しくゲームをしたいハズなのに、何でガマンをしているのだろうか、自分は…と。
親切な人ももちろんたくさんおります。
けれど、何か人との接し方に軽薄な雰囲気が終始あるのを不思議に思っていました。
何だろう何だろう?
小さな疑問は蓄積し、それらがストレスとなり続けられなくなりました。
「あーあー、私、ネットゲーム向いてないんだろうなあ…」
そう思って、しばらくネット世界から足を洗っておりました。
漠然と心のどこかで、「もう、きっとネットゲームをする事はないんだろうなあ」と思いつつ。
ある日、ヤフーのニュースでダイナの記事を見ました。
「女性のためのMMO?」その意味が最初分からず、興味をそそられ、公式に飛びました。
もともと漫画は少年漫画ばかりの人生だったので、少女漫画の雰囲気に目が点になったのを覚えています(笑)。
ずいぶん変わったネットゲームだなあという印象。
けれど、私の心をつかんで目を釘付けにした言葉がありました。
石山ディレクターの「ここで得をするのは『優しい人』です」という言葉。
そしてソレに続く文章の数々。
驚きました。
実際、このご時世、こんな事口にしたら笑われてしまいます。
けれど、「人として、当たり前の行動をゲームにしてしまったんだ、この人は」と、私は震えました。
その時点で、「ああ、きっとこのゲーム、世には出られない」と思ってしまったのも事実。
けれど、私はこのゲームをプレイするためにIDを取り寄せました。
こんなことを言う男前が、このご時世であえて作ったゲームというものを、やりたいと。
ネットゲームはもうやらないだろうと思っていた人間が、ダイナスティアに降り立ちました。
私の名前はチャイナです。
私の妖精は、他の皆さんには見えないけれど、名前はハオちゃんっていうんですよ。
一人一人、そうしてダイナで生活しています。
最近分かりました。相手が向こうにちゃんといて、人として人と対応している。
自分の時間をちゃんと持ちながら、人との時間を大切にしている。
他のゲームでは、頭で分かっていても、私はそれを実感できなかった。
不思議ですよね。
人とのコミュニケーションをウリにしているMMOの中で、最弱と言われるダイナがそれを私に教えてくれた。
友達に説明したら、笑われました(笑)。
私がやめてしまったMMOの中にいる人達とは、私はきっと見ていた部分が違かったのだろうなと。
思いました。
私にはダイナがとても心地よい。
電車の中でお年寄りに席を譲り、周囲を見渡すとその不思議な視線に疎外感を感じる。
倒れた自転車を起しても同じ視線を周囲から感じる。
あれ?どうしてだろう?なんでこんなに恥ずかしいのかな、自分…。
それらを、ダイナをゲームする人達はごく当然のようにやってのける。
ここにいると、私はおかしな世界のゆがみから解放されるのです。
ネットゲームが「親」という立場から懸念されがちな理由を、誰しも頭の中のどこかで分かっていると思います。それが何なのかはハッキリとしたビジョンが見えてきませんが。
でも私はダイナに出会えて、安心した自分がいるのを感じています。
子供はここで安心して遊べる、大人はここでもう一度当たり前の事を見直せる。
コミュニティの正しいあり方というものを、ダイナは見本として私たちに提供してくれている。そう思います。
ネットゲームが見失いがちなのではなく、人がまず見失ってしまっている部分。そこをゲームという媒体を使って形にしてある。
ダイナが存亡の危機に陥った時手を差し伸べてくれた方々は、それらをなくしてはいけないと思ってくれた、心ある「人」。
移り変わる新作ゲームの中、「次の新作なんだろう」ではなく、「ダイナがずっとそこに存在する」という必要性。
それらをもっとより多くの人に理解してもらいたいな、と。
ダイナはそんなゲームだと思っています。